原作者トーベ・ヤンソンについて

トーベ・ヤンソン

トーベ・ヤンソン  トーベ・ヤンソンは1914年8月9日、フィンランドのヘルシンキで生まれました。父は彫刻家、母は画家という芸術一家で、幼いころから絵を描いたり詩や物語を作ったりと、芸術に親しんで育ちました。下に弟が二人いて、12歳年下の弟ラルスは後にコミック版ムーミンの共同執筆者になっています。

 トーベが14歳のとき雑誌の子ども欄に自作の絵と詩が掲載され、15歳では早くも雑誌の挿し絵画家としてデビューし、その後もいろいろな雑誌に絵を描いたり美術展に作品を出したりと活躍し始めますが、時には持ち込んだ作品を出版社で断られることもありました。19歳ではじめての本が出版されましたが、ムーミンの物語が書かれるのはもう少し後のことです。『小さなトロールと大きな洪水』のもとになるお話は1935年、25歳のときに書き始められましたが、このころフィンランドではソ連による空爆が始まり、世界は暗い戦争へと入っていきました。トーベは雑誌の表紙にヒトラーを皮肉る絵を描いて親独派ににらまれたというエピソードもあります。

 第二次世界大戦が終わった1945年、ムーミンシリーズの1作目『小さなトロールと大きな洪水』が出版され、その後26年の間にシリーズは9作書かれました。1954年からはイギリスの新聞「イブニング・ニューズ」にマンガ『ムーミントロール』の連載が始まります。トーベは6年間執筆し、あとの15年間は弟ラルスが引き継ぎ、コミックスは約60の言語に翻訳されて親しまれました。トーベはムーミンシリーズだけでなく絵本、大人向けの小説、絵などたくさんの作品を次々に生み出し、国際アンデルセン賞をはじめとして多くの賞を受けています。

 2001年6月27日、86歳でトーベは息をひきとりました。生涯独身でしたが、周りにはいつも家族やいい友人たちがいました。恋人や家族や友人の何人かはムーミンの物語のキャラクターのモデルとなっています。ヘルシンキのはるか沖にある「電気も水道もない、歩いて8分で1周できる」小さな島の小屋で夏を過ごすのがトーベのお気に入りでした。数々のムーミン作品が生まれたこの小屋は、今はムーミンを愛する人々が訪れる場所となっています。

作品紹介

森の中には「トロール」という生き物が住んでいるという北欧の民話があります。作者トーベは若いころにおじさんに聞いたこの話から、ムーミントロールというキャラクターを作り出したと言われています。現在みなさんにおなじみのムーミンは、ぴんと立った耳、丸い大きな鼻、丸く突き出たおなかに短い手足、そしてふさのついた長いしっぽを持っていますが、1934年、まだムーミンのお話が世に出るずっと前に19歳のトーベが描いた『黒いムーミントロール』という水彩画は、今とは似ても似つかぬムーミンです。その後も雑誌や市役所の壁画にムーミンはちらほらと登場し、シリーズ1作目の『小さなトロールと大きな洪水』で正式にデビューしますが、それでも初期のムーミンは今よりも違ってみえます。物語のムーミンシリーズと平行して、トーベは弟ラルスとイギリスの新聞「イブニング・ニューズ」にムーミンのコミックの連載を始めますが、キャラクターの容姿、種類、性格が物語とは変わっているところが見られます。物語とコミックとの違いを見つけてみるのも楽しいかもしれません。

 物語のシリーズは9作目の『ムーミン谷の十一月』で終わっていますが、ムーミンの物語は新聞のマンガの他にも劇やオペラとなって劇場で公演されたり、日本でも2回テレビアニメ化されて、後に海外でも放映されたりと、さまざまな形で世界中の人たちに愛されてきました。トーベの母国フィンランドのタンペレには1987年に「ムーミン谷美術館」が、1993年にはナーンタリに「ムーミン・ワールド」というテーマパークがオープンし、ムーミン屋敷やムーミンの原画を楽しめるようになっています。

 日本ではアニメのムーミンの印象が強いかもしれません。原作の物語やコミックにはムーミン一家と仲間たちの生い立ちやさまざまなエピソード、ちょっとした言葉など、不思議な魅力にあふれています。現在日本ではムーミン関連の本が多く出版され、公式サイトもあります。深く知るほどに改めてムーミンに、そしてムーミンの世界のとりこになることと思います。